羊肉専門店 ジンギスカンいろ葉は、福岡県大牟田市の熊本県との県境に位置し、2014年に開業しました。当店のメインメニューは、昭和天皇はじめ皇族から国賓の方々の料理を担当した日本人フレンチシェフが、満州時代にモンゴルで学んだ羊料理から創作した塩だれで食べる歴史あるジンギスカンです。
その歴史は1936年から始まり、間もなく90年が経とうとしています。
この塩だれの味は、モンゴル、フレンチ、中華、和食のエッセンスがひとつとなり羊肉マトンの旨みと香りを最大限に引き出すものとなっています。薬味に使うネギとセロリ。特にそのセロリとマトンの味と香りのハーモニーが多くの方のジンギスカンの概念をひっくり返します。最初のひと口目、このハーモニーとの出会いにみなさんの表情が花開くのを見るのが私たちの喜びになっています。
私の師匠の父になる先々代「宮村静雄」氏は、博多帝国ホテルの初代料理長や仙台の松島パークホテルにて昭和天皇皇后両陛下や高松宮両殿下の食事も担当された当時の日本では名の知れたフレンチシェフでした。
大正時代に小学校を出てすぐ東京三田の東洋軒にて料理修行をしながらも独学でフランス語、英語、中国語をマスターする努力家であり、人種国籍を越えて分け隔てなく人を大事にする方で周りからの信頼も厚かったそうです。
東洋軒で10数年修行をした後、満州鉄道が経営する中国大連の大和ホテルの支配人兼料理長として赴任。1936年2月、モンゴル人の友人とモンゴルへ出かけ、岩塩を使った塩だれで羊肉を食べる料理をヒントに、日本人好みの味を工夫したソース(たれ)を開発し、その名をジンギスカンと命名しました。
今から約100年前、ジンギスカン発祥の地、満州時代の『大和ホテル』
中国大連市の中山広場に変わらず佇む大和ホテル(現在は『大連賓館』)
フランス料理の名前には人名、地名が多く使われておりモンゴルの英雄、チンギス・ハーンにちなんだ命名には、大草原で大勢で焼き肉を食べる豪快な食事風景を思い浮かべ、英雄への尊敬の念とモンゴルの人々への親しみを込めたとのことです。
仙台松島パークホテルにて。高松宮両殿下へのメニュー1952年9月
仙台松島パークホテルにて。昭和天皇皇后両陛下へのメニュー1952年10月
その後、終戦を迎え宮村静雄氏は、帰国し仙台の松島パークホテルなど大きなホテルをいくつか経由し「博多帝国ホテル」の料理長として就任しました。その後、宮崎観光ホテルに移り、三井グリーンランド内ホテル「ブランカ」の副支配人を務めました。
宮村静雄氏の長男である宮村駿一氏は、高校卒業後に小倉の日活ホテルで修行した後に、ニューヨークで開催されていた世界博のハウスオブジャパンにてシェフとして勤務していました。
当時の大牟田・荒尾は炭鉱で最盛期。人手がどれだけあっても足りない中、アメリカより帰国した駿一氏(フレンチレストラン宮村のマスター)は、父静雄氏によってこの地に呼ばれます。
その後、駿一氏は、大牟田新栄町近くの三井が経営する山の上ガーデンゴルフクラブを任され、ここでもジンギスカンが食べられるようになったのです。
その後独立して『フレンチレストラン宮村』が始まります。
フレンチレストラン宮村内装
私がこのジンギスカンに出会ったのは、今でも忘れはしない小学校1年生の時。家族で行った『フレンチレストラン宮村』のジンギスカンのあまりのおいしさに、椅子に座るのも忘れて立ちっぱなしで7人前食べてしまいました。
それからは、定期的に家族で行くようになり、店内の重厚な雰囲気と洋食屋の香りはいつも特別な時間でした。
レストラン宮村のジンギスカン
高校を卒業すると地元を離れ、山口、東京、カナダ、札幌と転々とするのですが、そこはまた追々。実家に帰ってくるとまず宮村でジンギスカンというのが定番のファミリーイベントとなり、家族との貴重なコミュニケーションと思い出づくりの場ともなっていました。
北海道にいた時にいろんなジンギスカン屋に行きましたが、食べれば食べるほど、どうしても大牟田のセロリで食べるジンギスカンが頭によぎってくるのです。
このジンギスカンをみんなにも食べてもらえたらきっと喜んでもらえる…よし!自分がジンギスカン屋をやろう!と決め、フレンチレストラン宮村のオーナーシェフ『宮村駿一マスター』に弟子入りをお願いし、料理とその歴史を教わることに…
唯一の弟子として受け入れていただいたのは、それまでのジンギスカンの食べっぷりを見ていただいていたからかもしれません。
そして、2015年にマスター(駿一 氏)は、50年以上に渡る現役を引退されました。
1936年からスタートしたこのジンギスカン。
創作薬膳いろ葉のジンギスカンは、3代目としてこの歴史を100年にすると約束してこの味を引き継ぎました。私にとってこのジンギスカンはかけがえのない家族との思い出をたくさん作ってくれました。
私がそうであったように、これからもこのジンギスカンで数々の思い出を多くの方に作ってもらえたらとの思いで今日もセロリをスライスしています。
レストラン宮村での修行時代。 宮村駿一マスターと共に。
80年以上続くセロリとマトンのハーモニーをその歴史と一緒に味わっていただくと、また一味違って感じていただけるかもしれませんね。長文お読みいただきありがとうございます!
羊肉専門店 ジンギスカンいろ葉 店主 平島 新
満州時代のジンギスカンのさらに詳しい歴史は、フレンチレストラン宮村のホームページにて。「ジンギスカンと父」
「満州からフレンチレストラン宮村の歴史」レストラン宮村に行かれたことのある方、『宮村駿一マスター』と面識のある方はぜひこちらの歴史もご覧になってください。懐かしいストーリーがあると思います。